ふたりのYankovic

そもそも私がアコーディオンに興味を持ったきっかけは、大学生の頃、偶然にラジオから流れたこの曲を聴いたことにある。

日本では「Eat it」など一連のマイケルジャクソンのパロディで知られる、アル・ヤンコビックの「Hot Rocks polka」。ローリングストーンズのヒット曲をことごとくポルカアレンジしたメドレー。

当時は折しもバンドブームで、私はいわゆる日本のロックファンだったのだけど、あまりの衝撃に笑った笑った。そして、笑った後にふと考えた。

なぜ、笑えたのだろう?ロックをポルカにすることが、なんでそんなに可笑しいのだろう???

その理由はいまだに理屈ではうまく分析できなくて、いわば私の原点になっている問いなのだが、感覚的には、上から目線のいけ好かないスノッブなヤローを、バナナの皮ですってんころりんさせたような痛快な感じ、というのが近い。

 アル・ヤンコビックがなぜアコーディオンを弾いているのか、という理由は調べているとあちことで目にすることができるが、imdbのバイオグラフィーのページにも書いてあるのがその典型。あまりに簡潔に過ぎる情報ではあるが、同じ姓を持つ有名なポルカの演奏家がいるので、それにちなんで、ってなノリだった・・・ように読める。

その演奏家とは、フランキー・ヤンコビックのことである。

「ポルカキング」の異名を取り、グラミー賞も2回取っている、ポルカの大スターである。

1950年代には、人気番組「ローレンス・ウェルク・ショー」(日本の「シャボン玉ホリデー」の原形になったといわれるシャレた音楽番組)にもよく出ていたようだ。

その出演シーンのひとつ↓

フランキー・ヤンコビックは1915年にウエストヴァージニア州に生まれているが、両親はスロベニア、つまり元のユーゴスラビアからの移民。なので東欧移民二世である。で、なんと、アル・ヤンコビックの父もユーゴスラビア人なのだ。アル・ヤンコビックが生まれた1959年当時20代後半~30代前半くらいだったとすれば、もしかして年齢的にはフランキーの少し下くらい?1920年代~30年代生まれと考えられるので、やはり移民二世ではないかと考えられる。境遇に似たところがある。

 

ポルカは、もともとは土着のアメリカ音楽ではない。

19世紀前半にボヘミア(現在のチェコの西の方)の農民たちの踊りの曲として生まれ、19世紀の後半にプラハのサロンで紹介されたのを皮切りに、ヨーロッパ社交界に広く流行した。東欧チェコを発信地として東欧全体から、ドイツ、スイス、オーストリアにも。ウィーンでヨハン・シュトラウスが活躍していたのもこの時代。そういえばワルツだけでなくポルカもたくさん書いている。ポルカは当時のヨーロッパの最先端の流行音楽であり、イケてるダンスミュージックだったのだろう。

 

その後20世紀の初めころに東欧からアメリカへの移民が行われるようになり、そこでポルカはアコーディオンとともに海を渡った。移民となったのは土地を持たない貧しい人たち。ユダヤ人も多かったそうだ。差別され迫害されてヨーロッパを出たのに、たどり着いたアメリカでもまた、先に移住していたイギリス系の移民と土地争いでの軋轢が激しく、定住までには大変な苦労をしたはず。

そうした親の姿を見て育ったのが、移民二世の世代だったのでは。

 

「同じ名前だから」と息子にアコーディオンを持たせたアルの父の気持ちの中には、自分のルーツに対しての思いが何かあったのかもしれない。

そんなことを思いながら下の動画を観ると感慨深い。

「ふたりのYankovic」の共演。 

彼らの出自を考えれば、この動画の中で「Born in the USA」をデュオしているのもなかなか冗談キツイ。

最新のヒット曲をベースにしたポルカメドレーは、アル・ヤンコビックのアルバムには必ず入っているのだけど、いろいろ調べていくにつれて感じられるのは、東欧系であるという立ち位置を逆手にとった、けっこう悪意のあるユーモアであるということ。

聴いて笑っている自分は「ポルカそのもの」を笑っているのか、「ポルカにされているアメリカ」を笑っているのか・・・。

それによって自分の立ち位置があぶりだされてしまう怖さがある。

 

ところで「Yankovic」を「ヤンコビック」と読むのは英語読みで、原語だと「ヤンコビッチ」と読む、ということは最近知った。

以前見たアル・ヤンコビック出演のコントで、何度名前を言い直しても相手に「ヤンコビッチ君」って呼ばれるという話があったんだけど、今考えるとあれもけっこう悪意のあるネタだったなー。